明治から大正、昭和へと時代とともに発展を遂げた「久留米村」と「清瀬村」、村が
誕生してからのおよそ100年間の歩みについて、お二人の講師をお招きしてお話をして
頂きました。
自分の住むまちの歴史や普段利用している鉄道の歴史などを知ろうと、会場には53名の方々が集まりました。
講演会の司会進行を生活文化課の遠藤係長にお願いし、開講を前に、先ずは司会から講演の予定、お二人の講師のプロフィールを紹介して頂きました。続いて、主催者から、くるねっとの石川代表の挨拶、続いて、東久留米富田市長からお言葉を頂きました。
講師にお招きしたのは、東久留米市から東久留米市郷土資料室学芸員の上原健弥氏、清瀬市から清瀬市郷土博物館学芸員の中野光将氏のお二人です。
講演会は2部構成として、第一部では「清瀬市の100年の歩み」、第二部で「東久留米市の100年の歩み」を、お二人の講師に振り返って頂きました。
お二人の講師のプロフィールです。
【開講】 久留米村と清瀬村が誕生し、その後のまちの発展に大きな影響を与えた武蔵野鉄道(現:西武池袋線)の施設、そして、停車場の開業にも焦点をあて、鉄道が村の発展へどう関わって来たのか、村から町へ、町から市へと大きく変貌を遂げた、二つのまちの歩みについてお話をして頂きました。
「東久留米と清瀬の100年」 お話の主な内容です。
◇明治22年、久留米村と清瀬村が誕生した当時の村の様子と名前の由来など。
◇大正時代、二つの村の武蔵野鉄道開業への期待、停車場の場所が決まり開業するま
でのエピソードなど。
◇停車場(駅)が開業してからの駅周辺の開発計画、開発とともに変化した鉄道の役割。
◇開発が進むとともに減少した耕作地や自然環境など、地図から読み取る昔と今。
◇昭和の高度成長期の大規模な団地の造成と宅地開発の様子、人口の急増。
当時の貴重な写真、地図や資料を紹介して頂きながらのお話は、大変に分かり易く、また、昔を振り返る(当時を知る)良い機会を与えて頂きました。
【質疑応答】 「清瀬市には郷土博物館の様な施設があるが東久留米には無い、こうした施設が欲しい。」という声も。また、地名についての質問、武蔵野鉄道の開業当時についての質問など、可能な限り質問をお受けし、お二人の講師にお応えして頂きました。
写真は質疑応答の場面です。
武蔵野鉄道と停車場(駅)の開業は、その後の駅周辺の宅地開発など、まちの発展に大きく影響したことが分かりました。人口の急増に伴い鉄道の役割も変わり、輸送力が増強され、高度成長期の大規模な団地造成、さらなる宅地開発は、今の東久留米市、清瀬市の姿に繋がります。
発展に伴う耕作面積や雑木林などの自然環境が減少していく様子が、地図や資料で過去と現在が比較され、その様子が見えてきました。まちの発展と自然環境をバランスさせることの難しさを感じさせるお話でもありました。
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【講演を終わって】 ◇参加者は関係者を除き53名でした。受付締め切り後も申し込みがあり、コロナの関係から座席数(定員50名)を少なく設定したのですが、「もっと多くの方々に聞いて頂きたかった。」と、今に思へば大変残念に思いました。
◇講演会を二部構成としたことで、長時間の講演会となりましたが、途中で席を立つ方はほとんど無く、また、多くの方がメモを取られるなど、関心の高さを感じることが出来ました。
◇アンケートを実施しました。回答を頂いた方は48名で回答率は約90%でした。多くの方から「話を聞けて良かった。」「興味深く聞けた。」「勉強(参考)になった。」などと回答を頂くことができ、本講演会を開催できて良かったと感じています。
自分が住むまちが歩んだ歴史を、今日のお二人の講師の話を聞き、少しでも記憶にとどめて頂ければと思います。
活動紹介 : くるねっと